「賢い人は他人を馬鹿だと思わない」説に海外で賛否両論
姉妹サイトの新着
Hacker Newsで、個人サイトsive.rsに載った「賢い人は他人を馬鹿だと思わない」という短い主張が話題になっていた。本当に賢い人ほど他人を見下さない、という考え方に対し、コメント欄では早々に意見が割れる。「一日中ムカつく奴にばかり出会うなら、問題は自分の側だ」と頷く声がある一方で、「明らかに馬鹿な人は実在する」「著者は自分を賢いと思い込んでいるだけではないか」と反発する声も相次ぎ、議論は人を無能呼びする行為そのものの是非にまで広がった。
賢い人は、他人を馬鹿だと思わない
出典: sive.rs / 元記事はこちら
『朝にムカつく奴に一人出会ったなら、ただの運が悪かっただけ。一日中ムカつく奴にばかり出会うなら、ムカつく奴はお前自身だ』──ドラマ『ジャスティファイド』のレイラン・ギヴンズの台詞。これは『馬鹿』にも当てはまると思う。たまに馬鹿な人(というか元記事の言い方では『馬鹿なことをする人』)に出会うのは仕方ない。でも、それが日常的に起きるなら、鏡を見た方がいい。
>>4
自分にとってはこれ、強い危険信号だ。関わるチームや取引先を『みんな馬鹿だ』『うちの方がうまくやれる』みたいに思っている上司の下で働くのは、ものすごくモチベーションを削られる。
自分にとってはこれ、強い危険信号だ。関わるチームや取引先を『みんな馬鹿だ』『うちの方がうまくやれる』みたいに思っている上司の下で働くのは、ものすごくモチベーションを削られる。
>>4
ナシーム・タレブの『知的だが愚かな人(Intellectual Yet Idiot)』という捉え方が好きだ。
ナシーム・タレブの『知的だが愚かな人(Intellectual Yet Idiot)』という捉え方が好きだ。
この理屈は、一歩も先を考えようとしない人が実在すると分かった瞬間に崩れる。
この記事の主張は『他人を馬鹿と呼ぶのは馬鹿な人間だけだ』と言い換えられる。結局、矛先は言っている本人に返ってくる。
>>13
その通り。人の知性の高低を指摘する行為自体が、相手を見下す行為に等しい。それは完全にクソ野郎のやることだ。
その通り。人の知性の高低を指摘する行為自体が、相手を見下す行為に等しい。それは完全にクソ野郎のやることだ。
『他人を馬鹿と言う人を馬鹿だと言う人』もまた馬鹿なのでは、と思ってしまう。別に決めつけてるわけじゃないけど、ふと思っただけ。
でも、常に馬鹿なことをしている人も実際いる。『馬鹿』はそれを短く言っているだけだ。
どこで聞いたか忘れたけど、『家を燃やされても、親を殺されても、娘を誘拐されても人は許すことがある。でも馬鹿と言われたことだけは一生許さない』という言葉がある。
賢い人もそうでない人も、人をそんな二元論で分類できないことには気づいている。
>>20
それ。しかも多くの場面では、『賢い』とされる振る舞いの方が『馬鹿』とされる振る舞いより悪質なことも多い。
それ。しかも多くの場面では、『賢い』とされる振る舞いの方が『馬鹿』とされる振る舞いより悪質なことも多い。
自分は賢いし、他人を馬鹿だと思っている。
『賢い』を『成熟した』に置き換えてもいい。自分も、こういう見方ができるようになるまで時間がかかった。
若い頃は馬鹿だと言われていたアインシュタインは、かつて『我々は自然が明らかにしたことの、1万分の1パーセントさえ理解していない』と語った。たしかに、謙虚さの余地はありそうだ。
自分が馬鹿だということは確実に分かっている。間抜けなコメントを書くたびに、HNが下矢印(downvote)でそれを教えてくれるから。
じゃあ自分は馬鹿なんだろう。なぜなら、他人の多くを馬鹿だと思っているから。いやマジで、めちゃくちゃ馬鹿だと思ってる。世間の人をちゃんと見たことある? 大抵の人は賢くない。
著者は自分を賢いと思っているのか? それも、誰と比べて賢いというのか?
そもそもアインシュタインは『愚かさに限界はない』と言った。それは自分自身について言ったとでも思うのか?
自分は、これまで会った中で最も賢い人たちが、他人を『馬鹿』だとは思っていなかったことに気づけるくらいには賢い。その代わり、彼らは他人を『完全な阿呆』だと思っていた。
他サイトの新着
>>3
たしかに、特定の知的障害や脳損傷を抱える人たちはいる。でも、それ以外はかなり曖昧だ。素質・興味・努力・機会をどう切り分けるのか? それができたとしても、『本当に馬鹿な人』のおそらく小さな集団を特定するためにそこまで労力をかける価値があるのか?
たしかに、特定の知的障害や脳損傷を抱える人たちはいる。でも、それ以外はかなり曖昧だ。素質・興味・努力・機会をどう切り分けるのか? それができたとしても、『本当に馬鹿な人』のおそらく小さな集団を特定するためにそこまで労力をかける価値があるのか?
>>10
『世の中の大半はそう動いていない』という話について言えば、そうあるべきでもない。くだらないオフィスの仕事を離れれば、実生活は現実を正確に見極めることにかなり依存している。それが誰かを傷つけるとしても。もちろん、できるだけ傷つけないように伝えるのが理想だけど、できることには限りがある。
『世の中の大半はそう動いていない』という話について言えば、そうあるべきでもない。くだらないオフィスの仕事を離れれば、実生活は現実を正確に見極めることにかなり依存している。それが誰かを傷つけるとしても。もちろん、できるだけ傷つけないように伝えるのが理想だけど、できることには限りがある。
>>12
これは『内面化』の問題だと思う。正しい考え方を内面化していると、それが当たり前に感じられる。逆に間違った考え方は馬鹿げて見える。我々は巨人の肩に乗っている。プラトンもその一人だ。彼らの哲学を内面化しているからこそ、そうでない考え方が愚かに感じられるんだ。
これは『内面化』の問題だと思う。正しい考え方を内面化していると、それが当たり前に感じられる。逆に間違った考え方は馬鹿げて見える。我々は巨人の肩に乗っている。プラトンもその一人だ。彼らの哲学を内面化しているからこそ、そうでない考え方が愚かに感じられるんだ。
>>22
その通り。ただ、まったく悪意のない、まともな人間なのに馬鹿、という人もたくさんいる。生まれつきの場合もあれば、環境要因が重なった結果ということもある。
その通り。ただ、まったく悪意のない、まともな人間なのに馬鹿、という人もたくさんいる。生まれつきの場合もあれば、環境要因が重なった結果ということもある。
>>22
これはTEDスピーカーっぽいタイプの人によるエンゲージメント狙いの釣りで、見事に成功している。ただのコンテンツマーケティングだ。自分もその成功に加担しているし、今この文字を打っている間も加担し続けている。
これはTEDスピーカーっぽいタイプの人によるエンゲージメント狙いの釣りで、見事に成功している。ただのコンテンツマーケティングだ。自分もその成功に加担しているし、今この文字を打っている間も加担し続けている。
>>25
その通りだと思う。この考え方がもっと広く共有されればいいのに。
その通りだと思う。この考え方がもっと広く共有されればいいのに。
>>28
当たり前に見えるのは、実際そうだからだ。『馬鹿』というレッテルを使いすぎるからといって、馬鹿な人が存在しないことにはならないし、その存在に気づくことで自分も自動的にその仲間入りをするわけでもない。
当たり前に見えるのは、実際そうだからだ。『馬鹿』というレッテルを使いすぎるからといって、馬鹿な人が存在しないことにはならないし、その存在に気づくことで自分も自動的にその仲間入りをするわけでもない。
>>41
彼は鏡を見るべきだ。
彼は鏡を見るべきだ。
>>47
いや、それは馬鹿げた言い分だ(せっかくの機会なので、あえてこの言葉を使わせてもらう)。たしかにそういう使われ方もあるけど、すべての使用例がその下品な類いだと言い切るのは、現実のデータに合っていない。
いや、それは馬鹿げた言い分だ(せっかくの機会なので、あえてこの言葉を使わせてもらう)。たしかにそういう使われ方もあるけど、すべての使用例がその下品な類いだと言い切るのは、現実のデータに合っていない。
>>56
問題は『時々』と『常習的に』という言葉を混同していることだ。常習的に、かつ大半の場面で馬鹿なことをしているなら、それはまあ、馬鹿だということだ。
問題は『時々』と『常習的に』という言葉を混同していることだ。常習的に、かつ大半の場面で馬鹿なことをしているなら、それはまあ、馬鹿だということだ。
>>58
『正直に言えば、平均的な人が貧しく教育を受けていない地域に行くと、この理屈は崩れる』という意見について言えば、貧しく教育を受けていない人でも、教育なしに貧困を乗り切るという点では十分に賢いことがある。貧富や教育水準は、賢さと馬鹿さを分ける基準ではない。
『正直に言えば、平均的な人が貧しく教育を受けていない地域に行くと、この理屈は崩れる』という意見について言えば、貧しく教育を受けていない人でも、教育なしに貧困を乗り切るという点では十分に賢いことがある。貧富や教育水準は、賢さと馬鹿さを分ける基準ではない。
この話題の背景と論点
元のエッセイは起業家Derek Siversが運営する個人サイトsive.rsに載ったもので、短い警句的な文章で議論を呼ぶのがこのサイトの特徴だ。スレで対立したのは、「他人を馬鹿だと感じる頻度が高いなら自分の態度を疑うべきだ」という立場と、「現実に知的能力の低い人は存在し、それを指摘するのは問題ない」という立場の二つ。ナシーム・タレブの「知的だが愚かな人(IYI)」という概念も引用され、知性と謙虚さは必ずしも一致しないという視点も示された。読者が誤解しやすいのは、この議論が純粋なIQの高低を争っているのではなく、「馬鹿」というレッテルを頻繁に使うこと自体が何を意味するか、という態度の問題を扱っている点だ。
※本記事は海外掲示板 Hacker News のスレッド「Smart people don’t think others are stupid」から抜粋し、編集部で日本語に意訳したものです。訳文の責任は当サイトにあります。
この記事のリアクション






まだコメントはありません。