「ウソをついてほしい時」はある? 海外掲示板で議論
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海外掲示板Lemmyの雑談コミュニティ「asklemmy」に、「どんな状況でウソをついてほしいか」という問いが立った。投稿者は、好みじゃない料理を「美味しい」と答える例を挙げ、相手は本当にウソを望んでいたのか、と疑問を呈した。これに対し「ウソをつかれたい場面はない」「情報を受け止める力がないと見なされているようで嫌だ」という否定的な声が相次いだ一方、ワンナイトの相手からの電話やベッドでのパフォーマンスなど、個人的な場面を挙げる回答も出て、受け止め方の差が浮かび上がった。
どんな時にウソをついてほしい?
ウソについて話すと、大抵の人はすぐに『こういう場合はウソも仕方ない』と正当化を始める。よくあるのが、出された料理が好みじゃなくても『美味しかった』と言うパターンだ。
でもこれって、相手も本当はウソを望んでいたという前提に立ってない? だから聞きたい。あなた自身は、どんな時に本当のことより『ウソ』を望む?
ウソについて話すと、大抵の人はすぐに『こういう場合はウソも仕方ない』と正当化を始める。よくあるのが、出された料理が好みじゃなくても『美味しかった』と言うパターンだ。
でもこれって、相手も本当はウソを望んでいたという前提に立ってない? だから聞きたい。あなた自身は、どんな時に本当のことより『ウソ』を望む?
そんな場面はない。それは『自分には情報を受け止める力がない』と見なされているってことだから。
ウソをついてほしいと思う場面なんて、一つも思いつかない。
ちょっとした話。プラシーボって、患者が『これは偽薬だ』と分かっていても効くことがあるらしい。どうやら我々は『薬をもらう』ということ自体にパブロフ的に条件づけられてるみたいだ。
ワンナイトの相手から後で電話がかかってきて『妊娠した』と言われた時。
ベッドの上でのパフォーマンス(についてのウソ)。
『唯一思いつく例外は、会議で“どう思う?”と聞かれた時みたいな場面だけど…』
それでもウソをつくのはあまり意味がない。『言いたくない』って言えばいいだけだから。
それでもウソをつくのはあまり意味がない。『言いたくない』って言えばいいだけだから。
この話題の背景と論点
「好みじゃない料理を美味しいと言う」という例は、相手への思いやりからつく「優しいウソ」の典型とされる。だが今回のスレでは、多くの回答者がこの前提自体に疑問を示し、「ウソをつかれるのは、自分には情報を受け止める力がないと見なされているようで不快だ」という意見が目立った。一方で挙げられた「プラシーボは本物だと分かっていても効果がある」という話は、医療分野で実際に報告されている「オープンラベル・プラシーボ」という現象で、思い込みだけでは説明できない身体反応の存在を示す例として知られている。スレ全体としては、「誠実さ」と「思いやり」のどちらを優先すべきかという、古くから続く倫理的な対立が形を変えて現れた議論だったと言える。
※本記事は海外掲示板 Lemmy c/asklemmy のスレッド「In what situation would you want to be lied to?」から抜粋し、編集部で日本語に意訳したものです。訳文の責任は当サイトにあります。
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