【海外の反応】SNSが無かった時代、戦争犯罪はどう暴かれたのか
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海外掲示板Lemmyのnostupidquestionsコミュニティに「インターネットもSNSも無かった1939〜45年、人々はどうやって戦争の実態を知ったのか」という疑問が投稿された。
返信では新聞・ラジオ・映画といった当時のメディアの役割に加え、ポーランド人レジスタンスのヴィトルド・ピレツキが自ら志願してアウシュビッツに潜入し情報を外部へ持ち出した逸話が紹介された。一方で「写真の捏造は19世紀からすでにあった」という指摘も出て、当時の"証拠"がどこまで信用できたのかを巡る議論に発展した。
当時は「これをネットに投稿する」なんてことはできなかった。Facebook、Instagram、TikTok、Reddit、Twitter(X)、そんなものは1939〜45年には存在しなかった。真珠湾攻撃が起きた頃にはインターネットも無かったから、人々は口コミか新聞(タブロイド紙)でしか知りようがなかったはずだ。
アメリカ・イギリス・フランスが当時犯した戦争犯罪について言えば、人々は最初それに無頓着で、彼らを単なる「解放者」としか見ておらず、その欠点は見過ごされていた(当時流れていたプロパガンダのせいで)。実際には彼らはドイツ軍捕虜を殺害していたが、コンピューターも検索エンジンもSNSのフィードも無い1945年の一般人が、それをどうやって知り得ただろうか。
世界が強制収容所の存在に気づいたのがいつだったか考えてみるといい。それは戦争が終わってからのことだった。
そして、そこから脱出までしている。
それがどう発展していったかについての記事もあるので、リンクを貼っておく。
この話題の背景と論点
SNSどころか商業インターネットすら存在しない時代、戦争の実態はもっぱら新聞・ラジオ・ニュース映画といった集権的メディアと、口コミによって伝わっていた。実際、ホロコーストの全容が広く世界に認識されたのは戦時中ではなく戦後であり、情報の伝達には大きな遅延があった。それを補ったのがヴィトルド・ピレツキのような個人の決死の潜入活動であり、レジスタンスを通じて外部にもたらされた一次情報は、当時としては極めて貴重な例外だった。
スレで割れたのは、報道体制が「機能していた」と見るか「限界だらけだった」と見るかの評価軸で、プロパガンダにより連合国側の加害行為が当時ほとんど問題視されなかった点も、報道の限界を示す例として挙がっている。
見落とされがちなのは、写真が「動かぬ証拠」として無条件に信頼されていたわけではないという点だ。レスにもある通り、写真の捏造・加工は19世紀半ば、1857年頃にはすでに存在しており、当時の人々も映像・写真情報を全面的に鵜呑みにしていたわけではない。むしろナチス自身が几帳面に犯罪の記録を残していたことが、後の告発・立証を大きく後押しした点も押さえておきたい。
※本記事は5ch(Lemmy c/nostupidquestions)スレッド「How did people manage to expose wartime atrocities during 1939-45 without the internet or social media?」より抜粋・要約して構成しています。






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