「イエスは十字架で苦しみ、仏陀は苦しみを脱した」海外板で宗教論争
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海外掲示板4chanの歴史板「/his/」で、「イエスは十字架の上で苦しんだが、仏陀は苦しみから脱する道を見つけた」という投稿をきっかけに、キリスト教と仏教を比較する議論が盛り上がった。話は「ピリピ人への手紙」2章に出てくる「自分を空にする」というキリスト教の理想と、仏教経典には実はそうした表現がないという指摘から始まり、仏像が目を閉じて描かれる様式が釈迦の死後何世紀も経ってからの美術的慣習にすぎないという反論、さらに悪魔マーラの娘たちが仏陀を誘惑する逸話の紹介へと広がった。宗教の教義解釈をめぐって、参加者の意見は細部でかなり割れている。
経典(スッタ)のどこにも「自分を空にせよ」なんて書いてない。
でも『ピリピ人への手紙』2章では、イエスが自分を空にしたことがキリスト教的な理想の精神状態として説かれてるぞ
仏陀は自分の力で悪魔、つまり色欲の悪魔すら打ち倒したんだよ。
『イエスは物欲にまみれた高価な香油さえ贖うことができるが、仏陀もユダも香油自体を避けるべきと言うだろう』って言ってたけど……仏陀は香油の呪術なんて使わなかったんだから、そこはイエスの勝ちだろ
仏陀は『外側を閉ざせ』とは教えていない。欲望に基づいて行動しなくなることを教えているんだ。在家信者でさえそれで悟りの最初の段階(預流果)に達することができた。動機が欲望に根ざしているなら香油を『使っても清らかになる』なんて話にはならない。人を汚すのはその人の意志的な行為であって、世界に存在する物そのものじゃない。
『仏陀は外側を閉ざせとは教えていない』って、だから仏像はどれも目を閉じて描かれてるんだろうな。説得力あるね(笑)
それ、仏陀の死後何百年も経ってから作られた像の話だろ
仏教の伝承には、地獄から魂を救い出す仏(地蔵菩薩のような存在)がいるらしいぞ
クスッ、地獄なんて一時的なものだし、地蔵菩薩が俺の刑期を減らしてくれるさ
>>11
エピクロス主義は、個人的には現代のリベラリズムよりも無神論的・世俗的な仏教に近いと思う。アレクサンダー大王の時代のインド・ギリシャ文化交流が、エピクロスの『アタラクシア(心の平静)』と仏教の徳・精神修養の類似性の理由かもしれないな
悪魔マーラとその誘惑的な娘たちによる、仏陀への誘惑の場面だよ
この話題の背景と論点
パウロ書簡「ピリピ人への手紙」2章の「キリストの謙遜(ケノーシス)」は古くから議論される概念で、スレ中の指摘通り初期仏教経典(パーリ語スッタ)には「自分を空にする」という表現は出てこない。仏像が目を閉じて描かれる様式も、釈迦の死後何世紀も経ってからのインド美術の慣習であり、生前の教えそのものではない点は見落とされやすい。悪魔マーラが娘たちを使って仏陀を誘惑する逸話は、キリスト教の「荒野の誘惑」と構造が似ており、両宗教の比較が欧米の宗教史好きの間で定番の話題になっている背景がある。スレで割れたのは、仏教が「感覚そのものを断つ」のか「感覚に基づく欲望的な行動だけを断つ」のかという解釈の違いで、後者が仏教学的には主流の理解に近い。エピクロス主義と仏教の精神的平静(アタラクシア)の類似性をアレクサンダー大王の東方遠征によるインド・ギリシャ文化交流に結びつける見方も、史実として一定の研究蓄積がある視点。
※本記事は海外掲示板 4chan /his/ (History) のスレッド「Jesus suffered on the cross. But the Buddha found the way out of suffering.」から抜粋し、編集部で日本語に意訳したものです。訳文の責任は当サイトにあります。








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