「神は全能のはずなのに悪を許すのはなぜか」海外で論争
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海外の掲示板4chanの歴史板(/his/)で、「神は本当に全能なのか」という神学的な議論が盛り上がっていた。発端は、古代の哲学者エピクロスにちなむとされる「全能で善良な神が存在するなら、なぜ悪や苦しみが存在するのか」という問い、いわゆる悪の問題(神学のトリレンマ)だ。スレではまず、エピクロス自身がそう述べた記録はないという指摘が入り、「神は論理法則を破れないから、全能とは何でもできることではない」という説と、「神にやる気があるなら今すぐ悪をなくすはずだ」という反論がかみ合わず、「やる気がある」という言葉の意味の定義だけで何十レスも応酬が続いた。
エピクロスはそんなこと言ってないぞ
答えは三つ目の条項にある。「悪はどこから来るのか」——これは単なる修辞じゃなくて、本当の問いだ。エピクロス自身(やそのパラドックスを都合よく使う連中)も、そこは分かってなかったはず。結局これはパラドックスじゃなく、凝った問いかけにすぎない。
「神は論理法則を破れない」——これは興味深い点だな。なぜ破れないんだ?
「神が俺と同じことをするのは当然」「まるで完全に確実な薬を処方するように」——そこが問題なんだよ、先生。
「できるのにやらないなら、それは悪意だ」——それはお前が本当に突きたい角なんだろう。悪を防ぐ気がないことを「悪意」と呼ぶべきだとは、お前は認めたくないだけだ。
神にはその気がある。
「いつかはやる気がある」とか「ある条件のもとではやる気がある」と言ってるだけだろ。それは結局「今はやる気がない」と言ってるのと同じだ。
じゃあ今じゃなくて後の方がいい理由は?
「やる気がある」=「すぐやる」という意味じゃないぞ、全然。
神は俺たちが持ってるこの惑星限定の善悪の概念なんて超えた存在だと思う。言ってることは分かるけど、そもそもこの問い自体が成立してるのかどうかも分からないよな。
つまり「やる気がない」ことを認めるのか?
やる気はある。ただ、それがなぜ2026年ちょうどに、あるいはそれ以前に行動として現れるべきなのか分からないだけだ。
「やる気」に暗黙の条件がついてないなら、すぐ行動に出るはずだ。もし暗黙の条件がついてるなら、ある意味では「やる気がない」(あるいは「できない」——それはもう引用の方で片付いてる)とも言えることになる。
「もし」の部分が単なる修飾じゃない、という見方もある。「やる気があるなら」は「もうやった」には直結しない。言葉遊びをしてるだけだぞ。
全能の神にとっては、人間のような限界がある存在と違って、「無条件にやる気がある」ことと「もう実行した」ことは確実に一致するはずだ。
「無条件にやる気がある」ってどこに書いてある?
前に言った通り、「無条件にやる気がある」の反対は「ある条件下ではやる気がない」ということで、それは引用の後半部分に当たる。
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それはエピクロスのパラドックスでのその言葉の使い方とは違う。お前が同じ意味だと思ってる二つの意味をすり替えたら、文章全体がおかしくなる。
エピクロスのパラドックスが本当に「パラドックス」と呼ばれるべきものなら、矛盾してないといけない。だから「やる気がある」という言葉をわざと曖昧にして「やる気がない」も含めてしまい、パラドックスを回避しようとしてる方が、むしろ誤読してるんだと思う。
シマウマの最大の罪は草を食って生きてることだ。なのになぜ生きたままライオンに引き裂かれないといけないんだ?
>>6
それだよな。イエスは人類を苦しみの原因である原罪から救ったわけで、原因を取り除けば結果も取り除かれるはずなのに、結果は取り除かれてない。まあ、神の道は神秘ってことか。
この話題の背景と論点
ここで言う「エピクロスのパラドックス」は、本来「悪の問題(Problem of Evil)」と呼ばれる神学上の古典的な論点で、「神が全能かつ全善なら悪は存在しないはずだが、悪は存在する。ゆえに神は全能でないか、全善でないか、あるいは存在しない」という三者択一(トリレンマ)を指す。レス2が指摘する通り、この定式化をエピクロス本人が書き残した記録はなく、後世の哲学者が彼の名を借りて要約したとされる説が有力で、出典が曖昧なまま引用され続けている典型例でもある。スレの後半で論点が「神に悪をなくす気があるかどうか」という言葉の定義に移っていったのも、この問題が昔から「全能」「善」「やる気がある」といった語を厳密に定義しないと水掛け論になりやすい、という神学・論理学特有の難点をよく表している。
※本記事は海外掲示板 4chan /his/ (History) のスレッド「He is not omnipotent」から抜粋し、編集部で日本語に意訳したものです。訳文の責任は当サイトにあります。






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