【海外の反応】「副読本が無いと読めない」ジョイスの名作に異議
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海外の文学掲示板「4chan /lit/」で、アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの代表作『ユリシーズ』と『フィネガンズ・ウェイク』を巡る議論が盛り上がっていた。投稿者は、ホメロスへの言及やアイルランド政治、カトリック神学への知識はあるとしながらも、注釈書や副読本を手元に置かないと筋を追えない小説を「最高の文学」と呼べるのか、と問いかけた。スレでは擁護派が『フィネガンズ・ウェイク』冒頭の一文の美しさを挙げて反論し、やがて議論は「芸術は難解であるべきか、庶民にも開かれているべきか」という、シェイクスピアの観客層まで引いた広いテーマに発展した。
1+1はいくつだ?
それは考えたけど、それは彼自身の美学理論からしても失敗だと思う
>Begin again, Finnegan(もう一度始めよう、フィネガン)
、これは誇張じゃなく、読むたびに鳥肌が立つってことだ。
>「裸の王様」の話を知ってるか?
読んだよ、『若き芸術家の肖像』の三章と『ユリシーズ』の九章は。
そうだね、だから自分を偏らせないように、時々三島由紀夫やジョーダン・ピーターソンのものも読むようにしてる。
シェイクスピアは「グラウンドリング」、つまり路上の鶏の闘鶏場から流れてきたような学のないグローブ座の客たちのために書いていた。芸術を独り占めして、ただの庶民の群れから守ろうとするような集団は、単純な見栄っ張りと同じくらい僕には不快だ。
『のために書く』のはいいけど、『媚びる』のは違う
いいね、それなら争う必要はない。
頼むから、そんなに賢く見せたがらなくていいよ
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>芸術家は大衆の称賛によってのみ芸術家になる
その理屈でいくと、史上最高の芸術家はジャスティン・ビーバーになる
この話題の背景と論点
『ユリシーズ』(1922年)と『フィネガンズ・ウェイク』(1939年)は、意識の流れや言語実験で知られるジョイスの代表作で、ホメロスの『オデュッセイア』やアイルランド近代史、カトリック神学への言及が重層的に織り込まれている。難解さゆえに、ギフォードの『ユリシーズ・アノテイテッド』のような注釈書を併読するのが一般的な読み方になっており、スレの投稿者が指摘した「副読本が要る小説」という評は、モダニズム文学全般に向けられてきた批判と同じ構図だ。一方で擁護派は、注釈なしでも伝わる文章のリズムや一文の美しさを挙げて反論しており、「芸術は大衆に開かれるべきか、難解であることに価値があるのか」という古くからの対立が顔を出した形になる。なお、スレの後半では議論と関係のない民族・出自に絡む中傷も交わされており、本記事ではそれらのレスは除外した。
※本記事は海外掲示板 4chan /lit/ (Literature) のスレッド「My problem with Joyce is that he seems more interested in linguistic innovation and the movement of consciousness than l」から抜粋し、編集部で日本語に意訳したものです。訳文の責任は当サイトにあります。









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