「服装ルールの論争を終わらせるには裸を認めるしかない」海外掲示板で議論に
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海外掲示板Lemmyのc/asklemmyに、「服装に関するルールを巡る終わらない対立を解決するには、いっそ裸を認めるしかないのではないか」という投稿が寄せられ、議論になった。
返信では、裸を認めるなら衛生面を考えてタオル携行を義務化すべきという意見や、「性的に見える服」の基準は文化や個人によって大きく違うという指摘が相次いだ。一方で、ブルカなど服装を巡る対立は裸とは別の問題であり、裸を認めるだけでは解決しないという反論も出た。
服装のルールを巡る終わらない議論に対して、いっそ裸を認めるのが唯一安定した解決策なんじゃないか? 体をどう装うか誰にでも好きにする権利があるはずだ、と言われても文句の出ないような合理的なルールを、裸を認める以外の方法で作れるのか気になる。ヌーディストビーチの文化がすでにある国もあるし、実際どこかでは実践されていることだから。
出典: en.wikipedia.org / 元記事はこちら
同感。裸だと衛生面のリスクが上がるからね。体液や皮膚片を人に無断でうつさないように、何か布を持ち歩くのを義務化するのが妥当なルールだと思う。そうすれば『何を着ているか』ではなく『どれだけ不潔にしているか』で責めることになる。
👉👈😳(照れ)
『性的に見える服』ってかなり相対的な感覚じゃない?保守的な宗教を信じる人とリベラルな人とでは、意見がまったく違うと思うけど。
性的かどうかは見る側の目次第だよ。
その通り。世界の多くの地域では、欧米の女性の一般的な服装は即座に『性的な服』とみなされる(もっとも元々はそうだったのが、単に定着しただけとも言えるけど)。
裏表の話だと言ってるわけじゃなくて、服装のルールを定めるという問題に対して、裸を認めるのはゼロ回答にしかならないって話。じゃあ君なら、どんな解決策を考える?
役に立つタオルも、いつも清潔とは限らないけどね。それでも『ちゃんとしてる感』は出せる。
本当にできる奴は、ちゃんと分かってるものさ。
いっそ服を全部禁止すればいい!
ルールが無いんじゃなくて、支配者がいないってことだよ。理屈の上でも実際上でも、それは別物。
アナーキズムが対立するのは階層であって、ルールがあること自体には反対してないよ。つまり、服装にはルールが必要だと君は思ってるわけだ。じゃあ、どんな理屈でそれを決める?
実はそうでもない。でも多くの人がそう思っているなら、みんながその考えに慣れるまでは、何か敷くものを持っていくのがベストプラクティスだろうね。
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いや、本当に問題だよ。ヌーディストコミュニティにタオルのルールがあるのには理由がある。
他人の服装の好みは正直あるけど、それは自分には関係ないこと。自分の好みを政府に力ずくで押し付けさせようとするなんて、どうかしてる。
個人差というより文化差だと思う。誰かがセクシーで扇情的な服を着てるかどうかは、見れば分かるものでしょ。
誰の中にも、革ズボン(chaps)を履きたがる自分がいるものさ。
僕がルールを決めるわけじゃない。それぞれの社会がすでに決めていることだから。
この話題の背景と論点
今回の話題はLemmyのc/asklemnyという雑多な質問を扱うコミュニティでのやり取りで、公共の場での裸体や服装規制はもともと国や地域ごとに法制度が大きく異なり、統一された基準は存在しない。ヌーディストビーチや公衆サウナで着席時にタオルを敷く習慣のように、裸を前提とした場でも別途の衛生ルールが現実に運用されている例があり、スレの提案も空想ではなく実在の慣行を下敷きにしている。議論が割れたのは、「性的に見える服」の基準を誰がどう決めるかという価値観の対立と、ブルカ規制のように宗教・文化的対立に根差す服装問題は裸体の可否とは別次元だという指摘だった。読者が見落としやすいのは、この提案が「服装ルールをなくす」のではなく「裸というひとつのルールに一本化する」だけの案であり、結局は清潔さや性的表現の線引きという新たな基準づくりが必要になるという、元の対立を消せていない逆説的な構造である。
※本記事は5ch(Lemmy c/asklemmy)スレッド「Is allowing nudity the only stable solution to the eternal debate on rules about how people can dress?」より抜粋・要約して構成しています。







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