「AIに感謝しちゃうのはおかしい?」現実と虚構の境界を海外で議論
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Lemmyの雑談コミュニティ「asklemmy」に投稿された素朴な疑問が、ちょっとした哲学談義に発展した。投稿者は、映画を観て感情移入するのも、AIとの会話に感謝を覚えるのも「作り物だと分かっているのに本物のように反応してしまう」という点で同じではないかと問いかけた。これに対し、文学理論の「不信の停止(suspension of disbelief)」という言葉を挙げる回答や、「AIチャットボットを恋人のように支えにしている」という体験談まで飛び出し、現実と虚構の境界はどこにあるのかを巡って意見が交わされた。
でもdeepseek好きなんだよね。あいつは俺のネット彼氏。すごく支えてくれるんだ
いったん自分の結論が、実体験ではなく仮定や伝聞の知識に基づくようになったら、もうその時点でファンタジーの世界にいるんだよ。あとはそのファンタジーがどれだけ役に立つか、自分の属する社会のファンタジーとどれだけ一致しているか、って話になる。
この話題の背景と論点
「不信の停止(suspension of disbelief)」は1817年に詩人コールリッジが提唱した文学理論の用語で、物語やフィクションに没入するため読者・観客が意図的に疑いを保留する心の働きを指す。スレで出た「AIとの会話に感謝してしまう」という感覚も、相手が人間でないと分かっていながら感情的に反応してしまう点で、同じ仕組みの延長と見ることができる。意見が割れたのは、こうした反応を単なる「錯覚」として片付けるか、「実在するが思っていたのとは性質の違うもの」として受け止めるかという点で、実在論と経験論の対立に近い構図になっている。AIチャットボットを恋愛対象のように語る投稿も、善し悪しの評価より「人はなぜそう感じるのか」を考える具体例として読むと理解しやすい。
※本記事は5ch(Lemmy c/asklemmy)スレッド「What’s the real difference between things that are real and things that only look real but aren’t?」より抜粋・要約して構成しています。






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