【海外の反応】古代ケルト・ゲルマン人はなぜ石でなく木を選んだのか
姉妹サイトの新着
海外の歴史系掲示板「4chan /his/」で、古代ケルト人やゲルマン人、スラヴ人が巨大建造物を木造で造っていたという話題が盛り上がっていた。投稿者は、ローマ軍に焼き払われた要塞都市や、高さ30〜40メートルあったとされる「饗宴の大広間」が木造だったために何一つ現存していないと指摘し、石の建造物が残るエジプトやインドと比べて「文明が遅れていた」と見られがちな現状を惜しんだ。これに対し、ローマ自身も多くの建物を木造で建てていたという「生き残りバイアス」の指摘や、スペインやイタリアのケルト人は実際には石造りの集落を築いていたという反論が相次ぎ、一枚岩ではない民族像へと議論が広がった。
誰も気にしてない。エジプト人やインド人が石造りの建物を持っていたからって何の得があった?
ローマ人が病的な嘘つきだったことも追い打ちをかけている。
『ガリア戦記』もタキトゥスの『ゲルマニア』も明らかにプロパガンダ目的で書かれている。私が指摘したかったのは、これらの文化が冶金などの分野で技術的・文化的に進んでいたということで、それが分かるとカエサルの戦略的な人物描写がさらに興味深く見えてくる。
ちなみに大陸のケルト人はヨーロッパの文脈でゲルマン人とは無関係だ。よくある俗説で、実際には多くがナルボンヌ系/イベリア系のような人々だった。
>大陸のケルト人はヨーロッパの文脈でゲルマン人とは無関係
誰かそんなこと言ってたか?
その方が生活の質としては良い。定期的に建て替えが起きるからだ。恒久的な建造物は過密を招く。みんなが何世紀も同じ土地を取り合うことになり、すべてが詰め込まれ、解体もめったに行われない。
紀元前1世紀、ビブラクテには3万人以上の住民がいて、『ムルス・ガリクス』という巨大な石壁で守られていた。東ガリアのアエドゥイ族の文字通りの首都だった。
同感だ。この地域の発掘調査が進むにつれ、これらの文化の重要性と、ヨーロッパ全体にもたらした進歩には今後も驚かされ続けるだろう。冶金分野での功績はほんの一例に過ぎない。
ゲルマン諸国ではどこでも、牛舎を5〜20棟併設した巨大なロングハウスが見られたが、イングランドではロングハウスが一度も建てられなかった。なぜだ?
ゲルマンのロングハウス。かつて人間と牛が同じ屋根の下で暮らしていた場所。
他サイトの新着
ただしブリテンやゲール系のケルト人は主に石と土で建てていた。
良いツッコミだな、笑
この話題の背景と論点
この議論の背景には、古代ケルト・ゲルマン文化の記録の多くが、征服した側であるローマ人の記述——カエサルの『ガリア戦記』やタキトゥスの『ゲルマニア』——に依存しているという事情がある。スレ内でも指摘される通り、これらは軍事的・政治的意図を含む文書であり、当時の実態をそのまま伝えるとは限らない。また「木造だから文明が遅れていた」という見方に対しては、ローマ自身も多くの建造物を木造で建てていたとする反論、紀元前1世紀のビブラクテのように3万人規模の人口を石壁で守っていた都市の例、スペインやイタリアのケルト人が石造りの集落を築いていた例が挙がり、「ケルト・ゲルマン=木造文化」という単純化は実態とずれる可能性が高い。建材の選択は文化的傾向というより地域ごとの資源や気候、都市化の段階によるところが大きい点は、スレ内では十分に掘り下げられていない。
※本記事は海外掲示板 4chan /his/ (History) のスレッド「Celts, Germanic peoples, and Slavs prioritized wood, not stone.」から抜粋し、編集部で日本語に意訳したものです。訳文の責任は当サイトにあります。












まだコメントはありません。