「自然は元に戻る」は思い込み、過大評価だったとの研究が海外で議論に
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生物多様性が失われても自然はいつか元に戻る、という楽観的な見方が長年共有されてきたが、実際の回復力はこれまで大きく過大評価されていたとする研究が発表された。Hacker Newsではこの話題をきっかけに、蚊を根絶すべきかという昔からの論争、川の復元事業で生物が戻らなかった実体験、漁業規制で個体数が本当に回復するのかという疑問、人間が絶滅しても宇宙的には大した損失ではないという厭世的な意見まで、幅広い方向に議論が広がった。「自然は数十年で元に戻る」と「元に戻るには数百万年かかる」という時間感覚のズレが、スレ全体を通じて最大の論点になっている。
生物が失われた際に自然が『元に戻る』力は、大きく過大評価されている
出典: phys.org / 元記事はこちら
『病気を媒介する蚊は絶滅させるべき』
現代版のカルタゴは滅ぼされるべき、ってやつだな。
『病気を媒介する蚊は絶滅させるべき』
俺は自分の分はちゃんとやってるぞ(蚊を叩いてる、という意味)。
病気をなくすのはいいけど、蚊が鳥やコウモリの餌という生態的役割を担っている点はどうするんだ?
1. https://www.nature.com/articles/s41559-026-03200-4
各国の指導者にこの方針を継続させるよう働きかけてほしい。
絶滅しそうな種を救おうとするのは、ロジックに乏しい感情的な反応に過ぎないと断言するよ。消えていくのが悲しいのは分かるけど、それが人生ってもんだ。何も苦しんでほしくないと思うのが人情だけど、誰かが頭からつま先まで生きたまま食われることもある。それが人生なんだよ。
『全部殺す』なんて言って、何も問題が起きないわけがないだろ、絶対に。
人類が絶滅しても、宇宙的にそれほど大きな損失とは思わない。人類は生命の生化学も、大気も、過大評価されがちな不具合の多い脳みそも、何も作り出していないんだから。
そうだね。ある時点から、自然まかせの復元だけではどうにもならなくなる。人間が自然を崩してしまった場合、元の状態に近づけるには人間の手による介入が必要になる。具体的には、家畜や捕食者・被食者を人の手で再導入することもあるだろう。
『このシステムを崩しても、いずれ元の均衡状態に戻る。それが見えないなら、もっと長く待てばいいだけだ』
それが正しいとしても、『もっと長く』がどれくらいかにかなり懸かってくる。それが100万年単位なら、あまり良いニュースとは言えない。
貝類に関する例はこちら:https://www.atlasobscura.com/articles/pearl-buttons-muscatin…
実際には漁は一度も止まっていない。完全な崩壊を防ぐレベルで規制されているだけで、10年や20年禁漁にして本当に回復させよう、という政治的な支持は一度も得られなかった。
漁を完全に禁止する必要すらない。魚の個体数が増えるところまで漁獲量を減らせばいい。今の半分程度の漁獲量にする必要が出るかもしれないし、それは影響を受ける人たちにとって全く嬉しい話ではないが、100%禁漁にしなくてもいい。
銀ギツネの家畜化実験[0]はいつも興味深いと思っている。進化のタイムスケールが予想よりどれだけ短くなり得るかを示す例として。
[0] – https://en.wikipedia.org/wiki/Domesticated_silver_fox
ここでの新しい発見は、人々が『自然は人間の時間スケールで元に戻る』と思っていたという点だと思う。人間の一生なんて、自然にとっては瞬きほどの時間に過ぎない。
そうそう、地球の生態系の歴史を地質学的なタイムスケールで見ることが多いけど、人間のタイムスケールはそれと比べたらほぼ光速だ。
自然は調和的なものじゃなく、常に変動し続けている。『元に戻る』と言うのは、戻るべき均衡状態が存在することを前提にしている。前方向に『バウンス』していく、という考え方もあり得ると思う。
その通り、砂漠だって昔からずっと砂漠だったわけじゃないと分かっている。システムは崩壊するものだ。
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その記事は、なぜそれが我々にとって得にならないかをはっきり説明している。機能している生態系は人類に必要なサービスを提供していて、そのサービスを効果的に提供するには生物多様性が必要だ。こうした仕組みを壊す方が『我々にとって都合がいい』という考え方はかなり的外れだ。
あなたが言っている振る舞いのせいで、過去100〜200年の間に、我々自身の存続にとっての地球の限界(プラネタリー・バウンダリー)にもう十分近づいている。自分たちの行動には二次的な影響がいくらでもある。
砂漠にまとめて水を注ぎ込むとしたら、無数の予期しない副作用があるはずでは?その変化を正確に予測し、結果が総合的にプラスになると分かっていると考えるのは、かなり傲慢な気がする。
サハラ砂漠が乾燥していなかったら、そこから南米に運ばれている砂塵が無くなることの、巡り巡っての影響はどうなるんだろう?
カルタゴは滅ぼされねばならない。
『スターシップ・トゥルーパーズ』派?それとも『ヘルダイバー』派?:)
細かいことはいいんだよ、兄弟。気分が良くなるまで何でも殺せばいいんだ。
その考え方が理解できない。生存本能の話を抜きにしても、合理的に考えて二つの可能性しかない。1. 我々は宇宙で唯一の存在である→複雑さと意識の、とてつもなく大きな損失になる。2. 我々だけではないが、宇宙規模で見て知的生命はかなり希少らしい→それでも多様性の大きな損失になる。
ニヒリズム(虚無主義)の世界へようこそ、そこでは何も意味を持たない。十分大きなスケールで見れば、この宇宙が存在することと存在しないことに、違いなんてあるんだろうか?
我々人類が、自分たちの食料システムが地球にとって持続可能ではないという現実に、もっと早く適応できればいいのに。
地球は大陸や陸地ごとに別々の『生態系』に分かれているわけじゃないと分かっているよね?一つの大きなシステムであって、宇宙空間からさえ密閉されていない。そして本当に不毛な星という意味で言えば、サハラ砂漠だって生命に満ちている。
この話題の背景と論点
元記事はNature Ecology & Evolution誌に掲載された研究で、生態系に対する23種類の介入・保全活動を調べ、その多くが生物多様性に一定の効果を持つことを示したものだ。スレで繰り返し出てくる「回復には数百万年かかる」という感覚は、ジュラシック・パークの「自然は大丈夫、心配すべきは人間だ」という台詞とも結び付けられ、人間の一生のスケールと地質学的スケールのズレが議論の軸になっている。蚊の根絶論は昔からある思考実験で、感染症対策としては合理的に見えても、鳥やコウモリの餌という生態的役割を無視できない点が指摘されている。また2022年にCOP15で採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組み」のように、各国が数値目標を掲げて取り組んでいる現実の政策枠組みも紹介されており、「自然任せ」ではなく人間側の継続的な介入が前提になっていることが読み取れる。
※本記事は海外掲示板 Hacker News のスレッド「Nature’s capacity to ‘bounce back’ when species are lost is vastly overestimated」から抜粋し、編集部で日本語に意訳したものです。訳文の責任は当サイトにあります。







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