聖典の文字数で宗教の「頭の良さ」が分かる? 海外掲示板で論争
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海外の掲示板4chanの歴史板(/his/)に「宗教の賢さは聖典の文字数で分かる」というスレが立った。投稿者はユダヤ教の聖典がキリスト教の聖典より語数が多く、キリスト教の聖典は「ユダヤ教の聖典+追加分」だと主張した。これに対し、本来のヘブライ語聖書だけなら語数は少なく、タルムードを数に入れるかどうかで結果が大きく変わるとの反論が相次いだ。イスラム教のハディース集まで合算すれば1000万語を超えるとの指摘もあり、何を「聖典」として数えるかという前提の違いが論争の核心になった。
スレ主はトーラーだけじゃなくタルムードも含めてるんだと思う
それって本当に「聖典」扱いなのか?古代の知恵集みたいなものじゃなくて?
タルムードだけじゃ足りない。ゾーハルまで含めてるのは間違いないと思う
は?タルムード全部まとめてるだけじゃないのか?ヘブライ語聖書だけなら絶対に100万語には届かないぞ
タルムードを含めるとユダヤ教はかなり「水増し」されてる。タルムードは何巻もあるけど、本来はラビのためのものだからな
この表は馬鹿げてる。何を基準にしてるんだ?ハディースは無数にあって、イスラームの伝承全体なら1000万語以上になるぞ
そのハディースは「サヒーフ(真正)」なのか?
自分は一時期正統派のシナゴーグに通ってたけど、そこのラビに「カバラなんてでたらめで、カバラ主義者を名乗ってる連中は単なる詐欺師だ」とはっきり言われたよ
よくやった、人類史上もっとも有名な俗説のひとつをまた広めてくれたな
カトリックでは「教理問答(カテキズム)」が実質的に聖典にあたる(他の宗教が聖典と呼ぶ基準で言えば)。カトリックはタルムードに相当するものを持つ、ほぼ唯一のキリスト教宗派だと思う
ただタルムード全体は「古来の伝統」と言えるのに対して、カトリックの教理問答は現職の教皇の意向を反映したものに過ぎなくて、結果的に現代のリベラルな考え方(例えば「死刑は悪」みたいな)まで入り込んでる
「他の宗教が聖典と呼ぶ基準で言えば」って、さっきも話したけどユダヤ教自身はタルムードを聖典だとは見なしていない。その「基準」とは一体何なんだ?
カトリックや正教会の伝統的な正典全部をキリスト教の「文字数」に含めるのか?
何か根拠を示してくれる?
この話題の背景と論点
タルムードはユダヤ教の口伝律法をまとめた注釈文献で、ユダヤ教内でも「聖典」そのもの(トーラー)とは別物として扱われる。ゾーハルはさらに後の時代に成立した神秘主義(カバラ)文献で、著者や成立時期は学術的にも論争がある。一方イスラム教のハディースは真正性の判定(サヒーフなど)によって採用範囲が大きく変わり、全伝承を合算すれば1000万語規模になるとの指摘も出た。カトリックの教理問答(カテキズム)を聖典相当と見る意見も出たが、これは現職の教皇庭の立場を反映した比較的新しい文書で、古代からの伝承とは性質が異なる。つまりこのスレでの対立は宗教の優劣の話ではなく、「何を聖典として数えるか」という定義そのものが一致していないことに起因している。
※本記事は海外掲示板 4chan /his/ (History) のスレッド「You can tell how smart a religious group is by how many words are in their holy books.」から抜粋し、編集部で日本語に意訳したものです。訳文の責任は当サイトにあります。







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