「輪廻の何が悪いのか」海外掲示板で仏教問答
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海外掲示板4chanの歴史板(/his/)で、仏教の「輪廻(サムサーラ)」を巡るスレッドが立った。投稿主は、自己という概念を否定しながら輪廻転生を説く仏教の矛盾を指摘したうえで、あらゆる苦しみと悦びを永遠に味わい続けることの何が悪いのかと問いかけた。これに対し、欲望そのものが苦しみの源であるとする反論や、飢えの経験を引き合いにした反論が続いた。さらに、正統派仏教では些細な罪でも地獄道に堕ちて途方もない期間苦しむとされる点を挙げ、解脱を目指す動機を説明するレスも寄せられた。
多くの宗教と同じで、仏教の教えの根幹にも信者からは見えにくい大きな矛盾がある。つまり「自己」というものは存在しないとしながら、その存在しないはずの何かが輪廻転生のサイクルに囚われているという点だ。
百歩譲ってそこは置いておくとして——輪廻に囚われたまま、あらゆる苦しみと悦びを味わい尽くし、最も偉大な者にも最も卑小な者にもなり、最も気高い人間にも最も下劣な人間にも永遠になり続けるとして、それの何がそんなに悪いんだ?
それとも、来世で待っているかもしれない苦役や責め苦がただ怖いだけで、良いことは悪いことに見合わないと思っているから、一種の“メタ自殺”をしようとしているだけなのか?
百歩譲ってそこは置いておくとして——輪廻に囚われたまま、あらゆる苦しみと悦びを味わい尽くし、最も偉大な者にも最も卑小な者にもなり、最も気高い人間にも最も下劣な人間にも永遠になり続けるとして、それの何がそんなに悪いんだ?
それとも、来世で待っているかもしれない苦役や責め苦がただ怖いだけで、良いことは悪いことに見合わないと思っているから、一種の“メタ自殺”をしようとしているだけなのか?
欲望に対する罰は、満たされないことの苦しみそのものだ
満たされているより、飢えている方がいい。欲望の状態は、常に満足の状態より優れている
それが本当だと思ってるなら、お前は飢えたことがないんだろうな(笑)
へえ、じゃあお前の持ち物、俺にくれない?
正統派の仏教の文脈でだけ筋が通る話だ。この世でのごく小さな罪でも、地獄道に生まれ変わって何千億年もの想像を絶する終わりのない責め苦を受けることになっているからな
この話題の背景と論点
仏教における輪廻(サムサーラ)は、単に「生まれ変わり続ける」だけでなく、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄という六道を業(カルマ)に応じて巡り続けるという教えが土台にある。とりわけ地獄道は、現世でのわずかな悪行に対してさえ想像を絶する長さの苦しみが科されるとされ、これがスレッドで挙がっている「小さな罪に見合わない苦しみ」という論点につながっている。一方、スレ前半の「欲望こそが苦しみの源であり、満たされない状態自体に価値がある」という議論は、仏教の教義というよりショーペンハウアーの厭世哲学に近い発想で、仏教そのものとはやや距離がある点には注意したい。輪廻からの解脱(涅槃)を目指す本来の仏教の動機と、海外掲示板で交わされる哲学的な思考実験は、必ずしも同じ地平にあるわけではない。
※本記事は海外掲示板 4chan /his/ (History) のスレッド「What’s so bad about Samsara?」から抜粋し、編集部で日本語に意訳したものです。訳文の責任は当サイトにあります。
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