「ジョイス以降の純文学は行き止まり」海外の文学ファンが論争
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海外掲示板4chanの文学板「/lit/」で、「ジョイスより後の純文学作家は皆ジョイスの影の中にいる」という主張から始まったスレッドが伸びていた。投稿者は『ユリシーズ』でリアリズム小説の形式は終わったとし、コーマック・マッカーシーが西部劇という"ジャンル小説"に活路を見出したのはその証拠だと述べる。これに対し、ジョイスの高評価はエリオットら同時代人の後押しにすぎないとする反論や、代わりに『ブラッド・メリディアン』やガディスを最高峰に推す声が上がり、"リアリズム"の定義や作品の格付けをめぐって意見が割れた。
"純文学"はもう完成してしまった。終わっているんだ。小説で新しいことをやりたいなら、純文学の"リアリズム"を超えるしかない。トールキンのファンタジーやウルフのSFを好き勝手言ってもいいが、少なくとも彼らはジョイスがまだ通っていない道、別の方向に進んでいる。
マッカーシーもそれを分かっていたからこそ、代表作でジャンル小説(西部劇)を書いたんだ。
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て当然だろ!
でもそもそもあれ、リアリズムじゃなくない?
>これぞ史上最高の文学者
悪いけど、文学ってジョークなんじゃないかと思えてきた。読む奴は馬鹿で、書く奴は頭がおかしいんだろ。
歴代最高峰の話をするなら、『ブラッド・メリディアン』は"問題"を提示し、『ハムレット』はその問題にどう向き合うかを問い、そして福音書がその答えを与えてくれる、という見方もできる。まあ間違ってるかもしれないけど。
おい、『ボヴァリー夫人』や『従妹ベット』はどうした?
ハムレットがどうそこに絡んでくるんだ?
それを言うならダリのほうがまだ近い比較だろ
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まあ、単純に同意できないってだけの話だよ
この話題の背景と論点
『ユリシーズ』は出版当初、わいせつ文書として英米で発禁となり、実際に密輸という形でしか読者の手に渡らなかった過去がある。1933年の米国での裁判で"芸術作品"と認められたことは文学と検閲の関係を語る際によく引かれる史実で、スレ中の「わいせつ法の息の根を止めた」という発言もこれを踏まえたものだろう。議論の核心は、『ユリシーズ』が"リアリズム小説"かどうかという分類の話と、ジョイス以降の文学に新しい行き先が残っているかという価値判断の話がしばしば混ざっている点にある。批評家ヒュー・ケナーの名が挙がるのもそのためで、単なる好き嫌いの応酬に見えて、実際はモダニズム文学史における位置づけを踏まえた論争になっている。
※本記事は海外掲示板 4chan /lit/ (Literature) のスレッド「Every single "literary" fiction writer after Joyce merely writes in Joyce’s shadow. There is nowhere to go in literary f」から抜粋し、編集部で日本語に意訳したものです。訳文の責任は当サイトにあります。














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