神殿の至聖所に踏み込んだポンペイウス なぜ神は罰しなかったのか
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海外掲示板4chanの歴史板(/his/)に、紀元前63年にエルサレムを制圧したローマの将軍ポンペイウスが、大祭司でさえ年に一度しか入れないはずの神殿の「至聖所」に足を踏み入れたにもかかわらず、なぜ神に罰せられなかったのかを問うスレッドが立った。スレでは「神ではなく5個軍団の力が真実だった」という現実主義的な回答や、「ポンペイウスは約20年後に殺された」と因果応報を指摘する声が上がった一方、旧約聖書で神が度々人を殺している点との矛盾を突く反論も出て、キリスト教の終末論的な聖書解釈をめぐる神学論争に発展した。
この話題の背景と論点
史実として、ポンペイウスは紀元前63年、ハスモン朝の内紛に介入する形でエルサレムを包囲し陥落させ、その際に神殿の至聖所に足を踏み入れた人物として知られる(ユダヤ人歴史家ヨセフスの記録が典拠)。至聖所はユダヤ教の律法上、大祭司が贖罪の日(ヨム・キプル)に年一度だけ入ることを許された最も神聖な空間で、異教徒の将軍がそこに立ち入ったことは当時のユダヤ人に大きな衝撃を与えたとされる。レスにもある通り、ポンペイウスはその約20年後、カエサルとの内乱に敗れてエジプトに逃れた末に暗殺されており、これを「神の遅れた報い」と見る解釈は古くからある。一方でスレでは、この逸話をキリスト教の終末論的な聖書解釈(いわゆるディスペンセーション主義)の根拠にする意見も出たが、こうした神学的立場の当否は歴史的事実として検証できるものではない点には注意が必要だ。
※本記事は海外掲示板 4chan /his/ (History) のスレッド「Why didn’t G-d killed Pompey when he waltzed into the Holy of Holies? That place was supposed to be so sacred that even」から抜粋し、編集部で日本語に意訳したものです。訳文の責任は当サイトにあります。









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